女子の群れ

 

女子文化のひとつに、

「群れる」
というものがあります。
 
 
これは膨大な女子文化研究の実地調査、
・ギャルへヒアリングする
・ギャルを観察する
松屋にいく
・妄想
をもとに導き出された結論なのでありますが、
 
 
私が明日うっかり死ぬとして、
生前の映像とともに何か名言のテロップが流れるとするならば、
「女子とは群れる生き物である」
になることでしょう。
私は集団行動が実に苦手なので、
女子とヌーに生まれなくて良かったと身に染みて感じております。
 

女子が群れる瞬間は実に多種多様に存在しています。
例えば部活の帰り道、
例えば高齢者集団旅行中の京都駅のホーム、
例えばMPをゴリゴリ削りながらサラダ取り分け合戦に勤しむとき
などなど、枚挙に暇がなく、書いているこちらもクソ忙しくて泣きそうになるほどであります。
 
 
「そもそも何故女子は群れるのだろう」という課題認識の黎明は、
おおよそ小学生のとき、
手をつないで便所へはせ参じる女子の群れに会敵するその時だと思われます。


「死ぬときと排泄するとき、人類は等しく孤独である」というのに、
どうしてわざわざ群れて便所にはせ参じるのであろうか
という疑問が男子諸君に衝撃を以てもたらされたことは記憶に新しいと存じますが、
 
 
近年の行動心理学の研究結果の中で、
「女子が群れて便所に馳せ参じるのは、無防備な状況下においてセクハラをされないための自己防衛本能である」
という研究成果があり、
なるほど女子が群れるのは変態おじさんから身を守るために人類に備わった知恵なんだねえ
とヒトのDNAのロジカルさにやたら感心してしまいました。
 
 
ともすれば、
OLがお昼に群れてランチにいくのは、
めんどくさい変態上司に誘われないための自己防衛手段として、
本能的に育まれた習慣なのではないかという推論が展開できるのであります。