女子のパンツについているリボンのなぞ
女子のパンツになぜリボンがついているのか
という当然の疑問を男子はもったことがあると思います。
しかしパンツにリボンが付いていないパンツは、それはもうただのパンツであり、
リボンのついていないパンツが道端に落ちていてもどこ吹く風のような顔面で通り過ぎてしまうことは必定なのです。
すなわち我々が興奮をしているのはパンツではなく、
パンツについているリボンなのであるか、
はたまたリボンとパンツのシナジー効果によってもたらされる女子のパンツ的概念なのか
というグローバルイシューについて、疾く議論を進めなければなりません。
ささ、疾く疾く。
女子といえばパンツ、パンツといえば女子、
すなわち純然たる女子の象徴たるパンツたる存在の細部についてめくるめく妄想を繰り広げるのは日本男児の常なのであります。
正直なところ、あのリボンに敵の攻撃を自動で迎撃するような機能的な意義は認められず、
機能的意義を持たない存在というものは、
プロデューサー巻きでプロデューサーに理不尽にも肩に意味もなく巻かれている上着であったり、
TOKIOの松岡昌宏が後頭部にかけているサングラスぐらいと、日本国でも稀有な存在なのであります。
一方で我々は女子のパンツをみる度に厭離穢土欣求浄土の旗印を破却せしめ、
ひとたび女子のパンツが立ち上がればその旗の下に涙を流してはせ参じる忠勤の志士、
山中鹿之助の精神をパンツに昇華させた、かの日本男児なのであって、
その機能不全に対して誰もがそれを無条件に受けれ入れてしまう、DVに慣れてしまった妻みたいな存在なのであります。
そこにおいては「パンツがみたい」と希うばかりで、
上述した果たして我々はパンツが好きなのか、パンツについているリボンが好きなのか、パンツとリボンを含めた女子のパンツ概念を尊重しているのかというグローバルイシューに対して盲目的な態度を取り続けてきてしまっているのです。
筆者自身も、まだ導入部分に過ぎない上記文章を記述するのに、
なんと868文字も費やしており、
女子のパンツに対する並々ならない態度が白日の下に曝されてしまったところで、
序論よりも薄い内容の本題に入りたいと思うのでありますが、
①ズボンを縛って固定していた時の名残だから等という主張
単に名残であるからなんていう主張だけでなんでも筋が通ってしまうのであれば、
ちょんまげで出社する御家人系男子がビジネス雑誌界隈で取り沙汰されても良いはずでありますが、
現実問題ちょんまげとは真逆のツーブロックヘアーが日本男児の主流になりつつあり、
これだけでは謎の解明には一歩及ばずと言ったところです。
②リボン=女子の象徴だから
たしかに、リボンというツールの使用率は圧倒的に女子の方が多いことはみとめましょう。
しかし一方で女子を象徴するツールはその他にも数多存在しており、
かような頻度で女子のパンツにリボンが使用されるのには、単にそれが女子の象徴以上の具体的機能が存在しているからに他なりません。
③アパホテルの折り鶴みたい感じでなんかおもてなしされてるっぽいから
アパホテルに入室すると、だいたいベッドの上に折り鶴が添えてありますが、
それと同じで、「ズボンを固定していた時の名残」で、「女子の象徴」で、
かつなんかそっと添えておくと「うっわ!めっちゃおもてなしパンツやん!」を感じるもの、
折り鶴であれ当然ベストなのですが、
こんな感じになっちゃうので、
できれば立体的でない方がよい、
その結果、横に長く、薄い領域でもサバイバリティを確保できるリボンが選好され、
それが定着し、日本男児を無条件に興奮させるツールになったという説、
こちらを支持したいのでありますが、
これ如何。