黒髪乙女論

 

世の中の女子大学生は皆髪の毛をタヌキ色にしてしまうのですが、
武士の時代にあって髪の毛を染め上げることは、敵を威嚇するために行っていたことを鑑みるに、
女子大学生は威嚇しまくっているということなのでしょうか。
 
 
大学全入時代ならぬ、女子大学生全茶時代の昨今、よりその価値を高めつつあるのが、
「黒髪乙女」です。
 
 
黒髪を歴史的にみていくと、
古くは平安時代において、女性は顔を見られることが「恥」であり、裸体を晒すことよりも端ないこととされておりました。マスクですっぴんを隠滅する女子はその生き残りと捉えて差し支えありません。
そんな時代にあって、女性は「黒髪」と「歌」で以って異性に自分をアピールをしていたため、日本男児には「黒髪」を愛でるDNAが埋め込まれているのです。


「ぬばたまのわが黒髪を引きぬらし乱れてさらに恋ひわたるかも」


上記の歌は奈良時代万葉集に収録されているものですが、
この歌は、古代日本男児の変態的妄想の標的として、「黒髪」がどれほどの地位を得ていたのかを窺い知ることができます。
 
 
一見お淑やかでありながら、内にゆらゆらと燃ゆる情熱すらも携える、情動的でありまた妖艶な女性を想起させ、とりわけ、「黒髪」が「乱れて」いる状態は、女性の性に対する積極性を窺わせるし、この女性が何里も先に住まう男性に対して恋慕の情を抱いていることは火を見るよりも明らかです。


また、「黒髪」は今でこそ一種類でしか分類されていませんが、かつては艶やかな黒髪のことを「翠の黒髪」と形容するなど、一口に黒髪といっても様々な状態の黒髪として分節化されていたのです。 これは、古代の日本男児が「黒髪」で以って日々めくるめく妄想を繰り広げ、
「黒髪で打線組んだ」といっては、酒のつまみにしていたことを如実に表しています。


月夜であれば、水面に輝く月光の、あの静かで厳かな煌めきを携えることができるし、
陽の光と共にある黒髪は、聖書におけるアダムとイヴのように、本来邂逅してはならない禁忌の愛を彷彿とさせて、汗をかいて鎖骨に纏わりつく細やかな黒髪は、 か細さと儚さを示しているので、「黒髪」は日本的美意識の象徴となっているのです。


黒髪こそ美の支配者であるのに、それに気づかず、
茶髪にしてはスタバの新作かき氷(フラペチーノ)を注文し、
「風味絶佳」と添えてボヤけた写真を挙げてた果てに、ポケモンGOをしているようでは、没個性の時代に飲み込まれてしまいますので、注意が必要です。
 
 
 
ここで女子大学生に注意喚起しても意味がないことに今気が付きました。