ナオトインティライミ

 

ナオト・インティライミが、2017年1月31日に放送された
日テレ系「ZIP!」に出演し、
数か月間「音楽を無邪気に感じる、そんな心をもう一度取り戻すための旅」に出ることを発表して久しいです。
 
 
音楽を無邪気に感じたいのならまだわかるのですが、なぜ旅に出なければ音楽を無邪気に感じられないのかが私にはてんで理解できないので、
今回は彼のこの発言について、めくるめく妄想を繰り広げてみようかと思います。
 
 
◆「音楽を無邪気に感じる、」について
 
 
序文でナオト・インティライミが意識したのは、おそらく「無邪気に」という部分でしょう。
 
 
人間の脳は情報伝達コストを並べく抑えようとする省エネ設計で作られています。
つまりここでは、「音楽を感じる」でも十分文章として成り立つはずが、あえて+αのコストを掛けてでも「無邪気に」が挿入されることで、ナオト・インティライミ(面倒なので以下ナオト)の「無邪気」に対する強烈なこだわりが炸裂したと考えて然るべきです。
 
 
◆「そんな心をもう一度取り戻すための旅」について
 
 
そんな心とは、もちろん「音楽を無邪気に感じる」心です。そしてナオトはこれを再奪還するための旅に出ることを決意するわけです
 
 
ここでの謎を丁寧に紐解くと、
①音楽を無邪気に感じることは地理的要因が変数となり得るのか?
②もう一度取り戻すということは他者によって簒奪されたのか?では誰に?
そもそも初めからナオトが無邪気に感じる心を持ち得ていたのか?
 
 
①については、はおそらくナオトが日本だと無邪気ではなく、結構遠慮しがちの「控えめに音楽を感じる」状態に陥って仕舞った可能性があります。
 
 
日本では確かに電車移動の際に無邪気に音楽を感じるというよりも皆さまイヤホンをしてますし(これはマナーです)、大声で歌い始める人もまた皆無です(これはマナーです)。道端でいきなり「ピンときたわ」と言い始めてハーモニカをじゃかじゃかやり始める人、これもまた中々いません。
 
 
社会通念的に他者への配慮の中に生きる日本のコミュニティにおいて、ナオトは窮屈さを感じていたのやもしれません。
しかしながら、エンタメ文化がこれだけ発達し、かつ健康で文化的な生活が憲法で保障される我が国日本において「無邪気に音楽を感じる」ことの障害が「社会通念」というのも、中々説得力のない話です。
 
 
社会通念に打ち破られるほどのペラペラの無邪気さしかなかった」と言わざるを得ませんので、地理的要因が変数になり得るのはあまりに無謀な議論であると考えられます。
 
 
②については、そもそも特定の個人に簒奪されたとすれば、その個人に対して返還交渉を行うはずですが、再奪還手段を「旅」に指定しているために個人説は棄却、ここでナオトの心を奪ったのは自分自身、ひいては時の流れ、怠慢、記憶力の乏しさ等にあたると推定できます。
 
 
③について、
こちらは全く予測できません。あったのかもしれなければ、なかったとも言えます。
しかし、これだけの方に指示されたという結果をみると、かれは旅によって無邪気に音楽を感じる心を掴んでいた可能性の方が大いに高いと推察できます。
 
 
ちなみに前回のナオトの旅で仮に獲得されたと考えると、
1年半の期間の機会損出(GDP4万ドル×1.5)と、旅行費費平均300万=900万の獲得単価がかかった「無邪気に音楽を感じる心」は、およそ10年ほどで償却された計算になります。
 
 
1年で90万円と考えると、良いサイクルでまた旅(エンジン)を注入していると感じます。