満員電車からおれが日本を救うという幻想
満員電車というものに乗り始めて早4年、
バスケ部だったのに面取りがうまくできなくて腕が骨折しそうになっていた
バキバキのカッペの私も、さすがに現代の奴隷船こと満員電車への抵抗力においてメキメキと頭角を現し、
「ふんっ!」と鼻で笑いながらドヤ顔(真顔)で乗車できるにまで成長したのであります。
次第に満員電車先輩としての自負の芽生えが生じてくるのは言うまでもありません。
これは中学2年生になり、たかだか1個下の後輩が入学してくるとなったときにやたらとテンションが上がって先輩面をしてしまう超常現象と同じなのであって、
その根底に存在しているのは、「この理不尽は俺が食い止める!」という主人公としての責任感であり、
だれも見ていないところでその責務を十二分に果たしていこうとする、逆ユニセフプレイに燃えるどM心を、完膚なきまでに公開する試みなのであります。
そこで私が直近にて遭遇した、
抗うことのできない満員電車の暴力のすべてと、
その抵抗の記録をここに記したいと思います。
①「右に左に大村」
満員電車というものは、人間のサイバリティ空間が極端に縮小されている状態のため、
非常に足元が不安定になるのは火をみるよりも明らか、いやもはや火なんて見なくても空気でわかりますね。
そんな足元やじろべえ状態では、
電車が急停車/急発進をすることで、
人間の肉の塊が大挙してまるで近鉄バファローズ大村直之の打球のごとく左右に振られ、(右に左に大村)
その余波が転倒・人間ドミノ・将棋倒しを生み、重大な怪我の元になります。
「この惨劇から人類を守りたい」
「俺でこの惨劇を食い止める!」
「ATフィールド全開!」
と、人間の津波を食い止めようとし、結局毎回普通に飲み込まれます。
恐るべし慣性の法則。
責任者に問いただす必要がある。責任者はどこか。
②「ババア裏返し」
満員電車の走行中の本質は静(右に左に大村を除く)であり、
動はドアの開閉時のことを指します。
ドアの開閉時には有象無象の人間が我先にと乗降を果たさんとし、
そのエネルギーは人間歯車となってたまにババアの表と裏をくるりとひっくり返します。
具体的には私が車両の外側を向きつつ、
ババアが車両の中心側を向いている状態、すなわち「majiでkissする5秒前」なのであります。
非力なババアに「レジレンシー:戻る力」はありません。
ひっくり返されたらもうおしまい、
「majiでkissする5秒前」なババアの出来上がりです。
次の駅で人間を歯車をされない限り車両側は向けないのです。
主人公の私は、当然この理不尽の嵐に際し、
「俺がこのババアを光の速さで裏っ返す!」
「ATフィールド全開!」
「えっ?もうチュウすればいいの?ん?」
となるも、満員電車の前にはもはや非力、
卒然と男子と相対し、メスの顔をしたババアを前に、
必死にキス我慢選手権に勤しむことになるのであります。
責任者に問いただす必要がある。責任者はどこか。
③「車内ドア付近への局所集中」
ドア付近は大変混み合います。
是非とも地球のために車内中ほどまでお進み頂きたいのですが、
基本的に車内中ほどに進む手前で謎のガーディアンが車内中ほどを守護している都合上、
人間はドア付近に滞留してしまいがちなのです。
ドア付近ではほぼ人間の凝固体が出来上がってしまっているので、
スマホをポケットから出そうといくら体をクネクネして肘を曲げる空間を作りだそうとしたところで馬の耳に念仏、
全く取り出すこと能はず、ただクネクネしているだけのキモい兄ちゃんの出来上がりです。
もういっそのこと、
「おれはただクネクネしたいだけなんだ!信じてくれよ!」
とカイジ風に開き直るのが吉です。
さてそんなドア付近ですが、端っこの手すりは片面が人間ではないので、
なかなか良きポジションになります。
満員電車内における銀座が座席だとすれば、
端っこの手すりの近くは下北沢です。
そんなにカッコよくないせいで個の主張ができない、
顔面レベル感中規模なメンズでも、
もはやそこにいるだけでオシャレになってしまうという魔法のチート街下北沢をみすみす逃すわけにはいきません。
安寧の地を逃したくない俺vs降りる人間の波
この激突はもはや各駅で避けられぬ戦い、
主人公の私は、
「断固居座り!奪えるものなら奪ってみろ!」
「ATフィールド全開!」
「くっ…ぐああああああ」
となるも、満員電車の前にはもはや非力、
人間の波という自然現象に人間は無力なのです。
しかもちょっと居座ろうと頑張ったので、途中まで耐えていたのに、
結局お前力負けして一旦ホームに降りるのかよ!
と、主人公なのに赤っ恥をかくことになるのです。
責任者に問いただす必要がある。責任者はどこか。