ベルマーク

 

油揚げ麺を主電源として活動し、
常日頃から愛と真実の悪を貫くラブリーチャーミーな料理を渇望する、
アーバンピーポーの私はよく油揚げ麺のパッケージに搭載されているベルマークを目にする機会が巣鴨に屯するおばちゃんよりも多いのですが、
 
 
ベルマークといえば、
小学生のころに突発的にかつ定期的に発生する
どのクラスが一番ベルマークを集められるかという教師の意地とプライド(意地とプライドという表現は重複なのではないかという指摘は加味しないものとする)をかけた
戦争の発端となる存在であり、
 
 
バルカン半島がヨーロッパの火薬庫であるならば、
ベルマークは小学校の火薬庫と呼ぶことやぶさかではありません。
 
 
また、
「点数を稼いだものこそ絶対的強者である」
という資本主義の暴力を、
移動する電車でジャンプしても同じ場所に着地する理由すらしらない(ちなみに私は未だにその原理が分からず大人になりました)ウヴな小学生に、
敗北感で以て体質として叩き込む教材なのであります。
 
 
ベルマーク運動の進行度が過激になればなるほど、
ポスト新古典派経済主義の文脈から定常経済学や充足主義、マルクス主義の再考を始める小学生がいてもおかしくありません。
 
 
さてそんなベルマークですが、
近隣諸国と比較して財政的に厳しい木更津市はこのベルマーク運動が盛んであったこともあり、
木更津の小学生は君津に追いつけ袖ヶ浦を追い越せ、欲しがりません勝つまでは、
の精神でベルマークをせっせと集める、昭和恐慌時の東北の寒村の子供たちのように集めていたのでした。
 
 
ベルマーク箱が常に目につくところにあり、
そしてベルマーク係というベルマーク回収の責任の所在を明らかにするという徹底ぶりは、
今から考えると中々恐ろしい話ではあります。
 
 
一方で我々小学生には
「クソ暑い教室に扇風機を導入する」
※クーラーでないところが木更津市民感覚
という信長の野望よりも大きい淡い野望のために尽力していたのであります。
 
 
小学5年のときにクラスのベルマーク担当大臣に就任した私は、
この野望を成就するべく各方面軍にノルマを課したのですが、
いざ自分の自宅で母親にベルマーク乞食をしてみたところ、
ジャポニカ学習帳(1点)ともやし(0.3点)ぐらいしかなく、とても貧しい精神になったことを記憶しています。
 
 
これでは部下に示しがつかぬと自腹で2Lのお茶を何本も買って3点のベルマークを買うという、
本と末が卒倒しそうな行為にすら及んでなんとか示しをつけたのですが、
となりのクラスにピアノを買ったときに付いてきたという500点のベルマークを持ってきたスーパーヒーロー地味女子に打ちのめされ、
「もはやそれは課金である!」と自分もお茶買ったのに負け惜しみを供述するに至る経験をしました。
 
 
結果として扇風機は娘の小学校が超絶暑いことに腹を立てたヤクザの親が全部買って全校導入されるというオチになったので、集めたベルマークが何に使われたかは知りません。
 
 
私の子孫にこのようなみじめな想いをさせてはならないという決意を鬼のように固めた
アーバンピーポーの私は以後コツコツと子孫繁栄のためにベルマークの回収をこの初夏から始めることにしました。
 
 
「おとうさん、ベルマークない?」
と泣きじゃくって懇願してきたベルマーク担当大臣の我が娘に
「ほらよ」
と言葉少なにエグい量のベルマークをそっと差し出す、
背中でベルマークを語るようなそんなカッコいいオヤジを目指します。


ちなみにベルマークの理念は、
「すべての子どもに等しく、豊かな環境のなかで教育を受けさせたい」。
だそうです。
素晴らしいと思います。