プーさんのパンツに対する考察

 

最近苦心して考察作業を進めているのが、
日本人の「ノーパン率」です。
 
 
「ノーパン率」とは何を隠そう、現時点でパンツを履いていない人の割合をはじき出すものですが、
仮にこの数値が導きだせたからといって人類は半歩たりとも前に進まないので、
この遊びは基本的には休憩時間にするようにして脳を鍛えています
 
 
さてノーパンといえばくまのプーさんがその草分け的存在となっている訳ですが、
プーさんはパンツをはいていないから卑猥だ、羞恥心がないという暇人の主張があることに大変驚かされて久しいのですが、
 
 
そもそも100エーカーの仲間たちはプーさんと人間を除くと皆すっぽんぽんの全裸なので、
むしろ上着だけ羽織っているプーさんの方が「野郎共よりも少しだけ気を使っている」と言えるでしょう。
 
 
さらにこの説から飛び火して、
「なぜズボンをはいているのにパンツを履くのか」とう疑問が立ち現われてくると思うのですが、
これは羞恥心を除外するためにパンツをはくという議論を重ねれば重ねるほどにズボンがそれを包み込んでしまうため、「パンツ不要説」が出てきてしまうのです。
 
 
「パンツ不要説」に打破するための大きな理由は、
「人間の想像力」によるところが大きいと私は考えます。
 
 
人間は想像力(妄想力)が非常に優れた生命体である一方、
余りにもその想像力が豊かすぎて本来可視化されていないものに対しても
それが可視化されているものと限りなく近似するという習性を持っています。
 
 
①裸は恥ずかしいからパンツをはく
次第にパンツの中にある裸体を想像してはパンツに対して底知れぬ感情を抱いてしまう
③パンツの神格化
④手段が目的化したパンツを守護するためにズボンをはく
 
 
このフローを経てきた人間は、「パンツを緩衝地帯化」することで現在は収束している、という訳なのです。
時代のながれからいえば、今度はズボンが神格化されていくようになり、
人類は次第に着ぶくれしていくのではないかと警鐘を鳴らさざるを得ませんね。