佐々木希結婚(当時の反応)

 

佐々木希結婚』
 
 
まさに二・二六事件以来の
この大不祥事が日本国に雲霞の如く駆け巡り、
明日を夢見る熱き青年の魂をして完膚なきまでにこれを撃滅せしむること、
さながらカンネーにて敗れたローマ軍の如し。
 
 
佐々木希といえば、私の世代の人間からしてみれば
既にアウフヘーベン的存在の女子であり、
その著書『ツァラトラストラ』で「神は死んだ」と主張したフリードリヒ・ニーチェをして「佐々木希は神」と言わしめた女子でもあります。
 
 
そんな彼女がよもや結婚するなどという事実は、
当時高校生だった私に喋ったら、山本昌が2015年まで現役をしていたという事実とどちらを信用するかとても良い勝負なのではないでしょうか。
 
 
ともすれば「地動説」を発表されたカトリック教会の偉い人みたいな顔をしているかもしれません。
 
 
さてごちゃごちゃと混乱する胸中を書きなぐってきましたが、「佐々木希 結婚」
ときいて日本人は銃後の備えとして、
何を教訓に、何を次世代に紡いでいくのかを考えていくものと思うのでありますが、
 
 
これは考えれば考えるほど「佐々木希の結婚」という事象は不可解極まりなくなってくるのです。
その不可解さは、しっかりと場合分けをしないと非常に混乱を招くので、慎重に筆を進める必要があるのであります。
 
 
・「佐々木希とは一体何であったのか」を考えるアプローチ
・「結婚とは一体何なのか」を考えるアプローチ
 
 
前者は認識論にまでその裾野が広がって収集が付かなくなりますし
後者についても主観世界の話が大半になるので、
この「結婚」という一契約状態のルール化は中々に至難の作業な訳です。
 
 
より積極的に客観を確保しようとするのであれば、
物体というものはつねに不均衡を均衡化していこうする力がこの宇宙の中では成立する法則が働いているため、
独り身という一方的な性の主張状態、すなわち未婚のステイタスを動的で不均衡なものと捉え、
その不均衡な情緒関係を定常化させるために結婚という連続性の中に釘を刺す行為に至る
などと適当に考察することも可能ですが、
 
 
考えれば考えるほど結婚という契約が生物的・物理的に説明がつかない精神世界の話になるので、もっと学力をつけなければ理解が追い付かなくなってしまうのです
 
 
こうなってくると我々は「佐々木希」も「結婚」も捉えることが出来ずに徒に浮遊していくので、
この不安を解消するために、1週間ぐらいは
 
 
佐々木希結婚しましたよね!?」
「うわ~まじか~」
といっては何も生産しないという時間を過ごしていくのだと思います。
 
 
(当時の反応 日本 24歳男性)