都会の女子高生脚細い問題

 

ただ生まれ育った土地が同じというだけで
徴兵され、共同生活を送ることになる中学というものは、
多感かつベクトルが思わぬ方向に飛びがちになるため、
中学の同級生とは全然話が合わない、性格が違いすぎて全く遊ばない、黒歴史を思い出すので避けている
という声を多くいただきますが(いただいたことはありません)、
 
 
ちょっとした田舎の人間ほど、
地元大好き中学のコミュニティ大好き
いやむしろ同級生同士で結婚ガチ勢
俺の生まれたこの町で育てるぜベイビー一生一緒の木更津マジ楽園ベイベー
に落ち着く傾向にあります。
 
 
ちなみに私も例に漏れず、
房総半島の西海岸を統べる、
房総半島のロサンゼルスこと木更津を日本の首都だと思っているうちの一人なので、
中学のコミュニティで定期的にサミットをしています。
 
 
さて何故田舎の人間ほど地元コミュニティを尊重するのかというと
以下のような仮説が立てられています(根拠なし)。
 
 
①経済には、「貨幣経済」「物々交換経済」「貸し借り経済」「自給経済」の4つの経済が存在する
人の流れが流動的な都市部はお金を払えばある程度が解決してしまう「貨幣経済」が主流となるが、人の流れが固定的な地方はコミュニティに基づく「貸し借り経済」が主流
コミュニティで互いに援助し合う地方は人間関係の濃密さで生活リスクが変わる
地方の人間が仕事よりも地域コミュニティの行事を優先することは、至極合理的な選択となり得る
 
 
さて先日の木更津サミット東京支部(G7)では主に、
「都会の女子高生脚細い説問題」
について激論が交わされました。
 

我々は東京に身を置きつつも木更津にその価値観を置き去りにしているので、
木更津基準でしか物事を判断できず(そんなことはない)、
相対的に「都会の女子高生脚細すぎ問題」が深刻になってきたため、
首脳陣(木更津基準で東京に出て仕事ができるやつはすごい、ゆえに彼らは首脳とよばれる)
による会合に至ったわけです。
 
 
さてそのときの仮説としては、
 
 
・木更津は生活圏が物理的に広範囲に渡っており、
歩く/自転車を使う距離が都会と比較して多い。
ゆえに女子高生の脚は比例してたくましくなってしまう
これにより、最小必要機能の生活拠点面積と脚の太さの関係を示した
y=axが求められるのではないか
 
 
・都会は完結しうる生活圏面積が狭く、
その結果移動範囲は少なく生活に筋力の使用を求められる機会がすくない
 
∴「都会の女子高生は脚が細いのである」
 
 
一方で木更津市民に対する救済措置として、
田舎は大人になったら車ばっかり使うから筋力が要らなくなる、
ゆえに木更津市民は大器晩成型の美脚となる
 
よって木更津は最高
 
 
という帰結に至りましたが、
「そもそも脚細いのは善という前提が間違っているのではないか」
という信州大学出身のHの発言により、
議論はふりだしに戻ったのでした