おじさんのくしゃみ

 

全てを市場の原理に委ねれば上手くいくとした、
ミルトン・フリードマンに代表される新自由主義経済学派は、
「企業の目的を矮小化している」と、
公共哲学の権威マイケル・サンデルが語ったように、
 
 
人間の目的は経済的利益の追求に留まらず、人間の幸福や地域への貢献といった社会性にまで拡大解釈していくことが、2011年の大震災以降特とりわけ顕著になっています。
 
 
アメリカでは、「社会貢献はサイコ―、クセになっちゃう」
という風潮が顕在化していますし、
イオンは田植えのごとく、はたまた烈火のごとくオラオラ木を植えまくっています。
 
 
偏に、これらはソクラテスアリストテレスを源流とする「魂の配慮」の精神に基づいています。
 
 
すなわち、他者はもちろんのこと、
自分の魂にも配慮を尽くすことの再評価が我々現代人の中で着々と進んでいる訳です
 
 
さて、そんな魂への配慮たれという社会的風潮に乾坤一擲の反撃を企てているのが、
何を隠そう、
「おじさんのくしゃみ」な訳であります。
 
 
先日格安とんかつ屋にてロースカツを摂取していたのですが、
張りつめた空気を切り裂き、
大地を揺るがす大音響のくしゃみをするおじさんがあろうことか約3名もおり、
まさにおっさんフィルハーモニー楽団が即興で結成されていたのであります。
 
 
おっさんフィルハーモニー楽団のとんかつ屋ライブで店内は騒然となり、
とんかつなのに永谷園のお茶漬けみたいにかきこんで早々と退散する者、
とんかつ屋なのにマスクし始める者、
イヤホンをつけて現実逃避する者が続出、
おっさんたちのナイアガラの滝よりもうるさいこのくしゃみ音は、
実に「配慮」に欠くものであります。 
 
 
それにしても、おじさんになればなるほど、
どうしてくしゃみの音が大きくなるのでしょうか。
成田空港の滑走路に降り立ったのかと一瞬思うほどの爆音、
はたまた人間が出しうる最も大きな音としてギネスブックへの申請を要求します。
 
 
年を重ねると、
鼻がパラサウロロフス、はたまたオペラ会場、はたまたトランペット的な構造になり、
もはや人体というよりも、楽器に近くなってしまうのでしょう。
これら楽器たちには、それらを束ねる指揮者が必要です。