あのころ、ぼくたちはエロ本が大好きだった

 

 

コンビニから、エロ本が消えようとしています。

東京オリンピックを契機に、

コンビニのブランドイメージを棄損するとして、

エッチな本をことごとく滅却するそうです。

 

 

要は

「なんかよその子がウチに遊びにくるから、いつもアザラシの死骸みたいに部屋をとにかく汚くしてゴロゴロ横たわっているだけのオカンが、見られるとちょっと恥ずかしい部分を隠そうと、普通の家庭を演出するべく部屋を掃除している」

ということと同じです。(同じではない)

 

 

たしかに、

家の子として、友達にオカンの生態や、ひいては家具の配置から性癖の類いが公になるのは忍びないことであります。

(家具の配置から性癖がバレることを所与とした場合)

「エッチなオカンがいる家」なんて言われたらウチに見物客の行列ができてしまい、それはそれは大変なる羞恥プレイであります。

 

 

それは、

エロ(性)という領域が、

実にプライベートで、バレると相手に生物的弱点がばれ、攻撃の対象になり得るがためであります。

 

 

例えば、

ウチのオカンの性感帯が鎖骨だとしましょう(本当は知りませんよ信じてくれよ)。

あくのそしきのヴォルデモートが、我が家を襲撃し、オカンが幼子である私をてきからぼうえいするために、必死の抵抗をするとしましょう。

 

 

しかしウチのオカンの性癖を熟知しているヴォルデモートは、

「サコツ!」と言い放ち、的確かつ効率的に鎖骨を刺激、ウチのオカンの鎖骨はヴォルデモート卿の分霊箱になってしまったではありませんか。

これでは「アザラシの死骸」の異名を持つウチのオカンでも流石に抵抗できません。

かくなる理由から、性癖を知られるということは、己の一家を含めてすべてが丸裸になるという危険性を孕んでいるのであります。

(一体なんの話をしているんだ?)

 

 

その現実を理解していることを、読者諸君には是非とも承知頂いたうえで、

誤解を恐れずに言及するとすれば、

「コンビニからエロ本がなくなることは一市民として大変残念である」と宣言しておきます(誤解)

 

 

コンビニのエロ本という存在は、

その利便性に支えられ、クソガキたちにとっては大変ドキドキさせてくれる

「貴重な受動的エロ」であり、

知らない未知の世界へと我々を誘うゲートウェイだったのであります。

 

 

あのころ、

具体的には小学生ぐらいの性の自覚をし始めた無節操な人類(厳密には男子)にとってのエロ・異性の大人というものは、

摩訶不思議な無限の可能性を秘めたコスモであり、

夏休みの理科の自由研究よりよっぽど興味がそそられる事案でした。

 

 

クソガキたちは時折道端に打ち捨てられたエロ本を拾い集めては、

公園の物置の下に隠して「おれたちだけの秘密」同盟を組んだり、

学区内に存在しているエロ本の所在地情報を全て把握している圧倒的変態が現れるなど、

エロ本は金よりも重く、命よりも重い存在なのでありました。

 

 

そんなエロ本が、

しかも雨に濡れていない新品のエロ本が絨毯爆撃のごとく陳列されている

コンビニのエロ本コーナーというものは、

我々クソガキたちの目には宝箱のように写っていたはずです。

 

ぼくたちに新しい世界を受動的にみせてくれたコンビニのエロ本コーナーがその幕を閉じようとしている今、

クソガキたちの目から輝きが喪われるのを、

大人の私たちは黙ってみておく他ないのでしょうか。