マンモスを追いかける前に
元来男と女という存在は大きく異なるものであり、
なればこそたいそう惹かれ合うともいえる存立関係にありますが、
順当にいけば、なかなか分かり合えないような思考回路ゆえに衝突することも多いのが世の常なのであります。
男女雇用機会均等法や男女共同参画社会基本法などの整備や
日本人の価値観の変容により、男女が互いに仕事をする機会も増えて参りました。
お互いの違いを尊重し合える関係であれば問題は全く生じませんが、
上述の通り元来違う生き物であるため、
その違いに対して平然と自分ルールを押し付けてしまう事態になると、1467年応仁の乱の形相を呈してくるのは世の常なのであります。
(世の常のアツい酷使)
この忌むべき事態は、
そもそも男女が役割を別にして相互互恵関係を構築してきた歴史がその背景にあります。
というのも、
じいさんは山へ芝刈りに、ばあさんは川へ洗濯に、ではありませんが、
男は外でナウマンゾウやオオツノジカを狩猟し、
女は育児や居住スペース周辺で共同して採集活動をしており、
生存のためには
男は瞬時に合理的/的確な判断を下さなければならないのでロジックを尊重するようになり、
女はコミュニケーションを取りながら育児の仕方や、採集したものが食べられるか、毒が入っていないかなどを教えてもらう必要があったためにコミュニケーション力や共感力にその神経を注ぐようになったのは自明の理、世の常であります。
男がもし女思考であった場合、
例えば
男A「うわっ!マンモスだ! 」
男B「え~どうしよ~すごいね~」
となったり、
男A「ぐえっ!やられた!血がとまらん!」
男B「え~たいへん~痛いよね~」
となってマンモスは全然狩れないわ、血は止まらないわで男たちは絶滅していたことでしょう。
近年女子高生研究家として、
「どうしてあの人は私の気持ちをわかってくれないの、私はこんなにすきなのに」
「最低限の人を思いやる気持ちをどうして持ってくれないの」
という女子リスナーからのお声を数多くいただく機会がありますが、
そもそも男子に共感や配慮を求めることは不毛なことが多いのです。
絶滅しないために人類が培ってきたジェンダーの壁に付き合っていくしかないのです。
一方で男子の破滅的配慮のなさから女子を大いに傷つけてしまうこと自体が許されることはなく、
人類の恒久平和のために男はマンモスの尻ばかりを追いかけるのではなく、
女の尻を追いかけてあげるやさしさを保有することが大切です。