女子大学生制服ディズニー追討の宣旨

 

 

女子高生研究家として、

溢れ出る憤怒の情に堪えないのが、

きったねえ女子大学生による制服ディズニーでございます。

 

 

本来女子高生に備えられている、

黒髪の千すぢの髪のみだれ髪かつおもひみだれおもひみだるるはずの、

黒髪文学少女たちによる、少女から女性への扉を開かんとしつつも、

大いなる情熱と少しの背伸びをしつつ、後ろ髪を引くに引きまくりながら青春に別れを告げる、その曖昧な汽水のごとき存在を炸裂させるための一大国家プロジェクト、

「制服ディズニー」に、

 

 

あろうことか潤沢なアルコールと油脂と睡眠不足をぬぐい切れない、

まるで蓮田から掘り起こし立てのレンコンのような脚をぶら下げ、

アイデンティティクライシスに陥った糞尿色に染まった髪の毛、

ヒマラヤ山脈その顔面に顕現させるにいたるつけまつげ、

NARUTOの観すぎでカラコンをいれて開眼してしまった眼球、

もはやここまで書けば魑魅魍魎の類いなのではないかと疑うことやぶさかではない物体が青春の都を闊歩する有様は、

げに口惜しきかな。

永野芽郁ちゃんになって出直していただきたい。

 

 

さて女子大学生への蹂躙を一通り完了させたところで本題に入りたいのですが、

(一体何が本題なんだ?)

 

 

 女子大学生が制服を身に着けること、

此れすなわち「変装」にあたる行為であり、ゲームなアニメのキャラに扮することを此れすなわち「コスプレ」とも言い、

「コスプレ」という単語やその現象そのものは世間一般に市民権を得て久しく、

その行為自体に弾劾をするつもりは毛頭ございません。

 

 

仮面ライダーウルトラマン、特撮戦隊といった、

何か強いものにパワーアップしてテンションがぶちあがる、

その効能は我々戦後日本人に備え付けられたアイデンティティであり、

 

 

女子大学生が「いつまでも若くて可愛い女子高生でありたい」と恋願い変身するのは、

ウチのオカンが永遠の26歳(長女出産時から時の流れが停止している、すなわち彼女にとって出産とは女子と女性を別つことになった分水嶺的存在であるという見地からの挑発的主張の類い、また女子と女性の区分には単純に結婚開戦時となる16歳を主張する法令派、高校卒業を同時にワンチャン化する観念派、処女喪失とを同等とする肉体派、いやもう生理きたら女性でしょと主張する肉体派左派、もはや女子は永遠に女子であるとする求道派とに分かれ、各派閥は互いにしのぎを削っている)とか主張しやがる(ぬかしおる)精神とほぼ同義であり、

そこにはなんら咎められるような事件性は存在していないのであります。

 

 

ところがである。

 

 

おっさんが女子にあこがれて、白シャツの下に明らかにそれもう女性用下着(俗名:ブラジャー目ブラジャー科)をつけて街頭を闊歩するだけで、

悲しきかな、「変質者」と相成り、追討の宣旨が下ってしまうのであります。

この実情、豈おかしいと思わんや。

 

 

きったない女子大学生の変装が許されて、

おっさんの無垢な可愛さへの思慕の情は粉砕する、

おっさんなら何をしてもいいというこの社会構造は、

これよりおっさんまっしぐらの我々日本男児には由々しき事態なのであります。

 

 

ちなみにわたくしは女性用下着をつけて歩いたりはしません。

本当です。