バーバパパの罪と罰

 

「習慣は人間生活の最大の道案内である」
 
―デイヴィット・ヒューム
 
 
日々何気なく活動していく中で
無意識的に標識を識別していたりするものですが、
例えば「男性=黒か青」「女性=赤かピンク」はお決まりごとといったようなものがそれにあたります。
 
 
本来真剣に考えてみれば
なぜそうなったのかはわかりませんが、
全人類が無意識的に識別し、道に迷うことなく自分の性別に該当するトイレや銭湯に馳せ参じて素知らぬ顔でウンコもすれば全裸にもなる現実を目の当たりにすると、
 
 
この色彩による性別の区分が人々の認識に滞りなくインストールされていることの証左ともみることができます。
 
 
色によって性別を分けることによって、
人間のある事象に対する思考コストを軽減することに繋がる訳なので、
おそらくこれは「今から男子トイレは青ね!」とやたらと主張したがる小学5年生の学級委員の女子みたいな人がつくったルールに則り、
 
 
「果たしてこの気配は…もしや…!女子風呂!?…いや、もしや」といった立ち往生を軽減できますし、
「くそぉ…どっちが男子トイレだぁ…あ、人が出てきた!うわぁ!男なのか女なのかわからん闊達なご老人がでてきたぁ…」といったように、
頭を使わなくてもわかる状態にすることで、我々はスマホゲームに集中していても性犯罪をおかすことなくトイレに馳せ参じることができる算段なのであります。
 
 
しかし、一方でこの「黒・青系=男性」「赤かピンク系=女性」という常識の完成が、
思わぬ落とし穴を生むことが稀にあります。
 
 
例えば魑魅魍魎のバーバパパ一家を見てみると、
 
 

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おそらくオスである「バーバパパ」はピンク色、
頭部に植物を生やしているためおそらくメスと判断され得る「バーバママ」は黒色
という、男女の識別色を完全に逆転させた禁忌を侵していることに苦悩していたのは私だけではないはずです。

 
これは非常に混乱に混乱を生む事態で、
「男=黒」「女=ピンク」という一般常識に雁字搦めになっていた私は
当初は当然の如く「バーバパパ」をメス、「バーバママ」をオスと考えていたのですが、
 
 
このメタモンみたいな生命体は「パパ」という名前を冠しておりますし、
映像を確認するとどうも男性フェロモンの分泌による声帯変化を起していることが確認でき、
対する瓢箪みたいな漆黒の生命体は「明らかに母体の働き」をしており、
不可解極まりなく、「まったく不可解で恐ろしいアニメだ」と考えていたものです。
 
 
この不自然さは、日々の反復的な習慣を人間生活の型(常識)として
極力思考しないように楽をしてしまう「人間が本来的に持つ怠惰さ」ゆえの混乱ですが、
常に新しい価値を生み出していく仕事をする中では、
無条件に前提とされているバイアスを取り払った「純粋意識」に立ったうえで物事を考えることが大事だと思います。
 
 
※自分の息子に「バーバパパと名付けたバーバパパの父親(バーバグランパパ)は頭がおかしいのかもしれません
いや、それとも普通に「バーバ」って名前なのかしらん