アナと雪の女王における「自由」の哲学的妄想

 
 
 
最近めっぽう寒いですが、
個人的には女子がでっかいマフラーを巻きつつさぶそうに歩いているのをみるとテンションが上がります。
その度に毎年冬をもたらしてくれる地球に対して、
「サンキュー地球の公転」とその物理法則に底知れぬ経緯を表明する訳なのですが、
 
 
冬といえばアレンデール、
アレンデールといえば穴雪ですね。 
ゆえに「アナと雪の女王にまつわる妄想を展開して参りたいと存じます。
※以下は暴論とこじつけのスターマインとなります。
 

「Let it go」 :「ありのままの姿見せるのよ。」


この表現は劇中にて氷の女王、エルサが口にするものですが、
エルサはこの歌を唄う際、実に孤独なのであります。
この状況において初めてのびのびとした演技を披露したエルサですが、この歌詞を深耕すると、


「ありのままの姿見せるのよ」
 

すなわち、一定領域内に他者が存在しない状況でありながら、「誰か」に「自分のありのままの姿」を「見せよう」としているのです。


そもそも、我々「人間」は、自らを見ることが出来ない存在で、
謂わば、「不可視の存在」としての「自己」は、他者からの「認知」によってのみその存在を保証される存在なのです。
しかしながら、エルサは「他者」を「拒絶」しながらも、
「誰か」に「素の自分」を「認知」する事を欲しています。
 
 
ここに見られる矛盾こそ、現代人に潜むエゴイスティックな側面に他ならなりません。
換言すれば、他者からの自由を標榜しながら、
深層的には「他者」を「欲して」いるという状況です。
 

偉大なる哲学者、アイザイア・バーリンは、
この種の自由を「消極的自由」と定義しました。
この「消極的自由」と対立して現れるのが、「積極的自由」です。


「積極的自由」とは、自己実現を図る自由、自己の能力を遺憾無く発揮する自由の事で、
これはカントの「理性的存在としての自己」、つまり「自律的に行動する自由」にも紐づきます。


この「積極的自由」は、
エルサに即して言えば、「氷の能力を誰にも邪魔されることなく、扱う事を保障する自由」であると言えます。
エルサが城に篭っていた時には、能力を使えば周囲に危害が及ぶかもしれない。そうした考えより、自分の思うがままに能力を行使することが叶わなかった。 


しかしながら、独りになることで彼女は「自由」に「自己の能力」を扱う事を許されたので、ここに「積極的自由」が達成されているのです。


前述した通り、人間は本性上、「不可視の自己」であるから、
自己を定義する際には「他者」の存在が必要不可欠です。
したがって、「積極的自由」における「本来の自己」も、
当然「他者」によって始めて定義づけられるものであるから、そこには他律的な要因も不可避的に含まれてしまうのです。
 
 
よってエルサは人類が抱える「自由」についての矛盾の体現者として、世の中の子供たちに絶大な共感と支持をうけているのです。