乳首

 

大相撲初場所にて稀勢の里が大いに追い込まれていますが、
力士は見ていてつくづく大きくて凄いですね。
 
 
そんな力士を無心になって眺めてみますと、
なんで力士は上半身裸なんだろう、意味わからんなという疑問が忽然と立ち現われてきて、
もう意識は相撲から離れ、「上半身」のことが頭から離れなくなります。
 
 
上半身によくよく着目すると、ますますそのなぞは深まって参ります。
 

かの"煩悶青年"である藤村操をして「不可解」と言わしめたこのセカイですが、人体はもっと不可解なのではないでしょうか。


特に、人間の不可解さの結晶とも言うべきものが、男性の身体に見て取れます。
何を隠そう、それは「乳首」です。


生まれて早23年を過ぎようとする私ですが、未だこの奇天烈不可解な「点」に命を救われた試しがございません。
 
 
現に、今まで少女漫画にて車に轢かれそうになったヒロインを、己の乳首を以てして救出するイケメンがいたでしょうか。
思うに、この乱筆乱文を読んでいる紳士の皆様も同じ意見であると推察できます。


この「点」は不可解です。
幼子を養育する為に必要とされないコレ等は、何故我々オトコノコに装着の権限が付与されているのでしょうか。


かの偉大なるフィレンツェの芸術家でありヴィンチ村の公証人の息子であるレオナルド・ダ・ヴィンチは、その作品、「ウィトルウィウス的人体図」において、人間の身体の「完全性」を表現し、ルネサンス以前の人間観に革新をもたらしました。

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それ以前の「完全性」は神、つまり"Il Dio"のみが持ち得る性質であったのですが、
レオナルドによって、「完全性」は人間にこそあるとされ、それまで垂直関係であった神と人間の関係は、並行関係になります。
同時期の芸術家、ミケランジェロが描いたシスティーナ礼拝堂のクーポラにある絵画にも、その思想を垣間見ることができます。


人間の身体は、「完全」であるとされたのです。 しかし、天才・レオナルドをもってして「不可解」と言わしめたものがあります。


何を隠そう、それは「乳首」です。


ルネサンスにおける「乳首」もポストモダンにおける「乳首」も本質は変化していないとするならば、
この忌まわしき「点」である「乳首」は人類にとって徹頭徹尾「不可解」なのであります。


自分の「乳首」の存在さえこれほどまでに「不可解」であるのに、況やこの世界をや。
 
 
世の中には不可解で知らないことがたくさんです。
「なぜ」を突き詰め、それを解明しようと必死に考え抜くことが、「明日の知」をつくりあげていくのだと思います。
 
 
おことわり
※本文における乳首は学術的見地に存する物質的な概念(アウフヘーベン)であり、世俗的な乳首とは一線を画するものであります。ご了承ください。