この形のトイレが苦手

 

田舎者だからなのか、
このタイプの便器があるトイレで用を足すことになるときは、非常に落ち着きが無くなります。
真顔でスタイリッシュに放尿をしてはいるものの、
内心地曳網み漁にかかった魚のような気分で用を足すこと、言い得てが妙とするべき他ありません。
 
 

f:id:eotoco:20190116173140p:plain

 
 
器の形状をした包容力のある(プライベート空間が担保されている)便器にこなれている分、
百貨店や東京の厳つい施設のトイレに足を運ぶたびに
壁に向かって用を足しているようで、
全然悪いことをしていないのにも関わらず、凄く悪いことをしている気分になるという、
謎の罪悪感に苛まれ恐怖し続ける木更津市民は私だけではありません。
 
 
更に決まりの悪いことに、
このトイレは隣が従来にも増して「丸見え」、
これぞ透明性が重視される時代の流れとも言うべきかもしれません
 
 
どうもこの時代の先端を走るトイレに
木更津市民が戸惑い続ける大きな理由としては、
どうも日本人が抱える「プライベート空間やプライバシー概念に対する認識の強度」に起因するところが大きいのではないかという仮説を持っております。
 
 
単純に日本と欧米との2軸のフレームワークで語ることのナンセンスさを一旦棚に上げておくと、
文化人類学エドワード・ホールのプロクセミックスに関する著書『かくれた次元』がこの仮説の補強に一役買っております。
 
 
 
その研究の概要としては、
アメリカ≫
・敷地の境界に塀や生け垣などがない家が多い一方で、建物内に足を踏み入れることは家主の許可がなければ不可能で、下手をすれば銃を発砲されたりする
・公私の観念が二極分化
・自分を中心とした約4フィート(約120㎝)以内の空間で、その空間内に他人がなんの断りもなしに入ってくることを嫌う
・プライベート空間が担保されている分、原則を破った積極的な身体的接触(プライベートの解放)が他者承認のプロセスで有効
 
 
≪日本≫
・敷地はブロック塀や生け垣などで境されていることが多く、一見他人の侵入を拒んでいるようだが、地方では家の玄関は鍵がかかってないか戸が開け放たれていることも多く、アメリカの家とは対照
・日本語にプライバシーを表現する言葉がない
・公私の空間的境界が曖昧 (例:満員電車の中でぎゅうぎゅう詰めで立っていても、日本人は欧米人ほどには苦にならない)
・プライベート空間の境界が曖昧のためにそもそも他者承認として身体的接触が帰結しない
 
 
その意味で、
従来型のトイレは公私の観念が二極分化した「欧米スタイル」のトイレに慣れ親しんで仕舞った
可哀相な日本人は、トイレ分科会においては「寄らば斬る」的な発想で放尿をしているのであります。
 
 
この一見新しいスタイルのトイレは日本人の中に眠っていた放尿スタイルの王政復古ともいうべきでしょう。

修学旅行あるある

 

もうすぐGW、 

5・6月といえば、
修学旅行の季節ですね。
朝の東海道新幹線は修学旅行生で阿鼻叫喚の形相を呈してきます。
 
 
日々の戦闘に疲弊し、新幹線内ぐらいは安寧のひと時を送りたいと夢想するスーパーサラリーマンにとっては、
・絶え間なく参拝される車内トイレ
・鏡の前で顔面のアップデートを始めるギャルが通路を封鎖
・猿山と化す座席
等々、神経衰弱以外の何物でもない訳ですが、
 
 
修学旅行旅行生にとって、行きの新幹線ほどテンションの上がる密室は、
他に女子更衣室以外ない訳なのであり、
この最高の空間に水を差すことは、空間の相対的価値を否定し、
かつ青春の1ページという血の1滴よりも重い抽象的概念の否定な訳でもありますので、
 
 
皆その場にいるスーパーサラリーマン達は
毎朝通学路で「いってらっしゃい」と唱えるご老人の如く、
仏の心でこれを見送る訳なのであります。
 
 
ここに日本人が持つ自己犠牲の崇高さを垣間見るに至り、
私は一人この国の民度の高さに改めて感動をするのであります。
 
 
さて修学旅行といえば、
学校によって色々面白いことが起きるのですが、
中学生というげに短絡的な思考回路を持つプリミティブな霊長類の生態は凡そ収束すると仮定すれば、
 
 
修学旅行あるあるというルール化を行うことが可能であると思うのであります。
挙げればきりがないので、(青木くんがはやくごはんにいこうというので)
本日はダイジェストとして冒頭10個を列挙致します。
 
 
①木刀を買う輩がいる
②クラス内での異性ランキング大会がおっぱじまる
③先生の巡回で寝たふりをしてたらそのまま寝るやつがいる
④いつまでも喋っていると明日の班別行動を無しにすると脅される
⑤何故かストイックに朝トレーニングをする野球部
⑥先生の私服が今思えば恐ろしくダサい
⑦あ、こいつパスポートなくしそうだなという奴限ってパスポートをなく
トランプを2つに山分けしてジャララララとやってドヤ顔をしている奴がいる
⑨所持金額の上限を超えた自慢をする奴がいる
⑩パンツの落し物の持ち主が現れない
 
 
できるのであればもう一度修学旅行にいきたいものですね。

真木よう子が母親であることを自慢したい

 

政治議論が盛んであった古代ギリシアにおいて、時の衆愚政治を悲観したプラトンは、
イデア論に基づく「哲人国家」の実現を提唱しました。
 
 
この哲人国家をダイジェスト版でお送りいたしますと、
 
①そもそも人は血のつながった子を甘やかすので、生まれた瞬間病院でみんなシャッフルしちゃおう。
②血に基づく馬鹿な情で育てなくなるから、凄く厳しく教育・育成できるね。
③その中から出てきた時の哲人が血縁に拘らず、全体のことを考えて本気モードで政治をすればアホが政治の世界に蔓延ることはなくなるねえ
 
 
だいたいこんなことを言っています。
到底現代では実現不可能な施策ですね。
 
 
福山雅治主演映画の「そして父になるが当たり前すぎて誰も感動しなくなる訳ですので、
それはそれはとんでもありません。
私も真木よう子に育成されたい。
 
 
もし真木よう子が母親であったら、と妄想すると、
「あっ、一応東京大学です」と謙遜しながら周囲の就活性を薙ぎ払う巨神兵的就活生のごとく、
授業参観で「あれ真木よう子じゃない?」と現場が騒然とする中、
「あっ、一応ぼくの母親です」と謙遜してみたいものです。
 
 
そんな下らないことはさておき、
哲人国家と似たような究極の平等主義、能力主義は歴史的に共産主義思想として結実しますが、
結果として20世紀のうちに瓦解しています。
人間には上手く運用できない政治システムなのかもしれませんね。
 
 
しかしながら、私利私欲よりも国家などの大きな枠組みで物事を捉えていこうとする考え方は、地球全体の問題解決のために活動するNPO団体等に受け継がれています。
 
 
全体のため奉仕しようとするマインドを持った方が少しでも増えてくれば、世の中は結果として良くなっていきますね。