意識の根本構造は自覚的である

 

四谷学院の謳い文句で、
「なんで、私が東大に!?」
「なんで、私が!?」
という、ついウッカリ系の広告が
毎年のように日本国中にイナゴの大群のように湧いていますが、
 
 
同じ大学の友人がこの広告を見て
「己の実力を無自覚の中で東大を受験する奴はいない。みんな東大に受かるべき明確な理由を持って臨んでいて、そんな中ひと握りの運のいい奴が合格するんだ」
 
 
とちょっとキレられたことがあります。
「いや、たぶんそうなんだろうけども、お前東大生じゃないよね」
とツッコミを入れておきましたが、
 
 
この広告はもちろん四谷学院が自負する比類なき指導力を喧伝するために
生徒を動員して(曝して)要る訳なのですが、
 
 
無自覚の内に意識が具現化することが到底考えられないというテーマも逆説的に投げかけているのも確かです。
 
 
これは、西田幾多郎の言を借りれば、
「意識の根本構造は自覚的でなければならない。知るものなくして意識といふものはない、縦、 自覚なき意識と考へられるものであっても、自覚的意識に属するものとして、意識と考へられるのである」
という問いともいうべきであって、
 
 
自覚の裾野を広げることが、自分の輪郭を形作ると思われるのです。